天正年間〜明治12年までの町名。 豊臣秀吉公の城下町造営により成立。 紺屋(染物屋)がこの地に多く集住していたことに由来する。 江戸期を通じて朱印地。 元禄8年の家数17 人口73。明治12年箕浦町、横浜町、瀬田町と合併し永保町となる。 その後、昭和に入り朝日町となる。

瀬田町

箕浦町

横浜町

大安寺町

紺屋
八幡町